GATEN職|建設業界・土木・ガテン系の求人サイト

「あなた、頑張ってるようで、頑張ってないよ」えりたさんの仕事の転機とは

社内で物思いにふけるえりたさん 仕事の転機

「仕事の転機」と言われて一般的に思い浮かべるのは「退職」「転職」「独立」など、働く環境が丸ごと変わるような出来事だと思う。

はたまた誰かの言葉に救われて奮起できたとか、諦めかけていたことに再び取り組んだとか、

努力が実って営業成績が1位になるとか、ポジティブで華々しい出来事を指すのかもしれない。

しかし私にとっての「仕事の転機」は少し違う。

私の場合のそれは「夜通しで営業ノートを10冊まとめる」というとても地味でひっそりとしたものだった。

もちろん、誰にも話したことはない。

この記事を書いた人
Cえりた
漫画家・イラストレーター/元求人広告営業職/現在はSNSにてお仕事コミックエッセイを発信中/
著書『地元で広告代理店の営業女子はじめました』他

情けない営業2年目

それは私が社会人2年目になった頃の話だ。

私は2年目になっても相変わらず出来の悪い求人広告営業だった。

産休に入った先輩の顧客を大量に引継いだものの、うまく立ち回れず顧客はどんどん離れていった。

訪問する先々で前任の営業担当はいつ戻ってくるのかと聞かれる日々。

(おそらく営業職としては復帰しないだろう、残業の多い仕事だし…)

なんとなくそう思っていたが、曖昧な受け答えしかできない私に、顧客はいつも残念そうな表情を浮かべていた。

変化できずに焦る毎日

また、既存顧客のフォローだけではなく同時に新規営業も行なっていた。

しかし1年目の頃とやっていることは大して変わっていない。

テレアポ、飛び込み営業、DMを送るなど、何が正解かわからないまま、ただ闇雲に営業を行っていた。

さらに私の部署には4月に新卒入社したばかりの後輩もいたが、まったく良いところが見せられなかった。

断られてばかりのテレアポを聞かれるのはツラかったし恥ずかしかった。

後輩に質問されても的確な回答ができず、結局上司のもとへ一緒に聞きにいったりした。

一人で落ち込んで、一人で焦って。日々追い詰められていたように思う。

社内で物思いにふけるえりたさん

一言で表すと「情けない日々」だったように思う。

営業中、追突される

そんなあるとき、営業車で運転中に事故が起きた。

国道を走行中に後続車から追突されたのだ。

そこは一直線に伸びる国道で、見通しが良さそうに見えるが事故の多い場所ではあった。

信号と信号の間隔が遠いので油断して皆スピードを出すのである。

信号が黄色に変わり私が少しブレーキを踏みかけたとき、後ろから追突されたのだ。

車で追突されたのはこれが初めてだった。

車のヘコみは大したことないのに、衝撃音は雷が落ちたような物凄い音だった。

私はとっさに急ブレーキと共にサイドブレーキをひいたので

幸い私の前の車にはぶつからなかったが、首にじんわりと痛みを感じた。

そして「私が悪いのか!?それとも向こうが悪いのか!?」と冷や汗をかきながら心臓をバクバクさせていた。

追突した相手の態度に愕然

一瞬の出来事に運転席で呆然としていると、追突した車の人(以下Aさん)があわてて降りてきて

「とりあえず道路脇に車を寄せましょう」と言ってきた。

しかし車を道路脇に寄せたところで走行車の妨げにはなっていて、

「迷惑だ!」「なにやってんだよ!」と真横を通るドライバーたちに何度も怒られた。

その間Aさんは警察に電話をしているようだった。

私も慌てて会社と保険会社に連絡をいれた。

するとAさんは私の営業車に貼ってある社名ステッカーを見てこう言った。

「え?もしかして求人広告の営業?」

「はい、そうですが…」

「あーーそうなんだ。俺、●●●●で働いてるんだけど、わかるよね?」

Aさんが名乗る会社名は大手企業だった。

それはそうと、私が求人広告の営業だと分かった途端、急にタメ口になった。

そして真顔で「これ、物損でいいよね?」と言ってきた。

当時の私には人身事故と物損事故の違いもわからず咄嗟に「あ…はい」と答えてしまった。

その後すぐに駆けつけてくれた警察の人に「ケガはない?痛みは?」と聞かれたが、Aさんは「もう二人で話はついてます。物損ですね。」と話をまとめていた。

相手はおもむろに名刺を渡してきて「これを機に求人広告を出してもいいよ」と言った。

これを機にってなんだろう。事故をきっかけに?求人広告を?え?

混乱して頭がパニックだったが、こちらを下に見ていることだけはわかった。

衝突事故で慌てるえりたさん

現在の私ならわかる。交通事故が起きた際、人身事故だと過失運転致死傷罪や危険運転致死傷罪等の刑事罰に問われる可能性がある。

一方で物損事故の場合は加害者は刑事罰に問われず、免許の違反点数も加算されないのだ。

首が痛いと言っているのに物損事故で済まそうとするだなんて人としてどうかしてますねと嫌味の一つでも言えただろう。

しかし当時の私は無知で、おまけにダメ営業だった。

ついAさんに合わせるようにへらへら笑い、媚びるような態度をとってしまった。

その後、私の先輩である主任が事故現場にかけつけてくれた。最寄りの病院を調べたり相手の連絡先を聞き出したりと私の不足している点を手際よく整理してくれた。

引き続きAさんは偉そうな物言いだったが、主任は「状況によっては物損が人身に切り替わることもありますから。警察と保険会社を通して話進めましょう」と毅然な態度をとってくれた。

すごいなと思うと同時に、Aさんに無意識に媚びてしまった自分がとても恥ずかしかった。

その後、追突された車はレッカー会社の方が修理工場まで運んでくれた。

主任は私を整形外科まで連れて行ってくれた。首は特に問題なかったが、医者に「追突事故の場合、数日後、はたまた数年後にむちうちや後遺症が出てくる可能性もあるのでまだ油断できない」と言われゾッとした。

医者から説明を受けるえりたさん

その後主任は私を自宅アパートまで送ってくれた。

私は「お忙しいのに何から何まで本当に申し訳ありません」と終始ペコペコ頭を下げていた。

帰宅後、部長から連絡がきた。Aさんの会社上司から丁寧な謝罪の連絡があったそうだ。

ケガの状況によっては人身に切り替えることを上司同士で話してくれた。Aさんの上司はまっとうな方だった。

「あなた、頑張ってるようで、頑張ってないよ」

今回の事故で会社・警察・保険会社・レッカー会社など多方面に迷惑をかけてしまったこと、今週の売上ノルマは相変わらず未達成なこと、そして追突してきたAさんに言われた言葉を思い返しながら、情けなさと至らなさと悔しさで涙があふれてきた。

くやしさで涙があふれるえりたさん

その日の夜はお風呂にも入らず、何も食べず、ぼーっとしていた。

やはりどうしてもAさんの見下すような物言いがずっと引っかかっていた。

転機となった「営業ノート」

営業職はそんなに下に見られる存在なのだろうか。

ふと日々の営業活動をまとめているノートをカバンから取り出した。

1ページに1社ずつ新規営業の活動状況を書き記すいわゆる「営業ノート」だ。

新人時代、上司に書き方を教わって以来ずっと営業ノートを書き続けていて、もう10冊目になる。

冊数が増えるたびにノート同士をガムテープでまとめていて、今は10冊のノートをガムテープでとめている。つまり見た目は辞典並に分厚いノートなのだ。

しかし、よく見るとあることに気づいた。営業ノートは後半に行くにつれ、書き方が雑になっていた。

学生時代にもこういうことがよくあった。新しいノートはワクワクするし、1ページ目は丁寧な字で書かれているのに、ページを追うごとに雑な書き方になっていくのだ。

10社、50社、100社、200社と営業をかける会社が多くなるにつれ、1社あたりにかける時間や熱意が減っていたのだ。

雑な字で「今は求人募集していない」と一言だけ書かれている会社や、一回アプローチしたきりの会社もごろごろあった。

私の営業活動の浅さ、雑さが営業ノートからひしひしと伝わってきた。

「あなた、頑張ってるようで、頑張ってないよ」と営業ノートに言われているようだった。

こんな適当な仕事をしていたらそりゃ見下されても仕方ないだろう。

時計を見ると現在21時。部署の皆はまだ仕事をしているだろう。

私はクローゼットから新しいノートを10冊取り出した。

「新たに営業ノートをまとめ直そう。いろいろとやり直そう。」

私はまっさらなノートにもう一度、自身の営業活動を書き直すことにした。

営業ノートを書き直して見えたもの

まず左側に会社情報を。担当者のお名前や在席が多い時間帯などを改めて書き直した。

右側にはこれまでアプローチした際の反応やその会社の状況、今後どうアプローチするかを自分なりに考えて書き直した。

言語化することで、頭の中でごちゃごちゃしていた自身の営業活動が整理され「次にやるべきこと」が見えてきた。

一度怒られたきり、出向いていない会社も多々あった。

それでも他誌で求人広告は掲載している。人材を必要としている。

私はスクラップして貼り付けていたその会社の求人広告をまじまじと見ながら、何か別の切り口で求人募集がかけられないか考えてみる。

提案書としてまとめて資料を郵送したら、また違った反応が返ってくるかもしれない。やってみよう。いそいそと営業ノートに書き込む。

そんな風に一社一社、丁寧に見直して考えてノートに書き込んでいたら、10冊ほどまとめた頃には夜が明けていた。

私は夜通し営業ノートをまとめていたのだ。しかし疲労感はなく、むしろ頭はすっきり冴えていた。

日の出の柔らかい明るさが私の「リスタート」を応援してくれているような、希望の光のように感じた。

日の出の柔らかい明るさのなかで希望を感じるえりたさん

出社すると後輩二人が事故のことを心配して体調を労ってくれた。

普段私は頼りない先輩なのになんて優しいんだろうとジーンとした。

その後上司にお礼を言い、社長に謝罪。事故の件は保険会社が進めてくれた。へこんだ営業車は修理中なので代車に乗って営業を開始した。幸い首の痛みはひいていた。

周囲から見たら私は「仕事中に事故に巻き込まれたかわいそうな人」なのだろう。

しかし実際は「事故の加害者の言葉をきっかけに夜通しで営業ノートを書き直して生まれ変わった人」だ。

きっとこんなこと誰に話しても理解してもらえないだろう。私と営業ノートだけの秘密なのだ。

私は燃えていた。落ち込んでいる暇はない。

営業ノートに書かれた「次にやるべきこと」をどんどんこなして、たくさんの企業にアプローチしていこう。もちろん安全運転で。

営業ノートで乗り越えるえりたさん

今日の私は昨日の私とはちょっと違っていた。

もしあの頃SNSがあったなら、私は真っ先に「新卒 営業 辛い」と検索していただろう
営業と聞くと、バリバリ稼いで華やかなイメージがありますよね。 しかしいざ営業職として働き始めると、現実はとても厳しかった…なんてケースも多く、やむを得ず退職…なんて人も多いのが現状です。 「せっかく新卒で憧れの花形営業職についた...
タイトルとURLをコピーしました