23歳のNさんは、保育士として働く中で自分の理想と違う働き方を強いられた結果、退職に追い込まれてしてしまいました。
「保育士になる」という夢をかなえてようやく就いた保育士という仕事、Nさんがどうして退職にまで追い込まれてしまったのか、その理由を聞いてみましょう。
今回話を聞いた方
Nさん:23歳
埼玉県出身
夢を持って、専門学校を卒業後地元の保育園に勤めるも3年で退職。
今は別の仕事を模索している。
「生きていくのがやっと」な保育士の仕事事情
--Nさんは3年もの間保育士として働いてこられたわけですが、なぜせっかくの保育士という仕事を退職するに至ったのでしょうか?
Nさん:保育士の仕事って本当に辛くて。残業なんて当たり前。で、皆さん知ってるでしょうけど給料も安くて。これじゃ続けられないなってことで辞めちゃいました。
--やっぱり給与の問題は大きいんですね。
Nさん:結局はそこですね。どれだけ苦しい仕事でも、やりがいはありますし、それなりの給与がもらえてたら辞めたりしなかったと思います。
友達にも理解されない給与のやすさ
Nさん:何度か知人とか友達にも愚痴ったことがあって。「給料が安い」ってことを…。
--励ましてもらえました?
Nさん:いえ、「生きてくのがやっとだ」とまで言ってんですけど、「保育士の給与が安いなんて最初からわかってたでしょ」とか言われて。ぜんぜんわかってもらえませんでした。
--それはひどいですね…。
Nさん:「給料が安いのをわかってて、それでもなったんでしょ」って言われて。確かに散々保育専攻で勉強してる頃から給料が安いってのは知ってました。でもやっぱり保育士にはなりたかったし、がんばって働いてれば昇給だってするだろうって思ってました。「なんとかなるだろう」って。若かったんですかね…。」
想像していたより遥かに過酷な勤務環境
Nさん:私だってある程度はきついのを想像してました。ニュースで保育士の働き方問題については毎日のように言われていますし。
でも私は、毎朝6時半までには出勤して、しかもそれでもタイムカードは切れなくって、休憩時間だって子どもたちが昼寝している横で子供を横目で見ながらだし、退勤時間だけはきっちりタイムカード切られて、その後も何時間もサービス残業で…。
--かなりハードですね…。
Nさん:退勤時間が20時なんて日には、「今日はすごく早く帰れる!」って喜んでました。定時はとっくに過ぎてるのに。
--遅い日は退勤時間どれくらいになりました?
Nさん;行事前とか、仕事が立て込む時には23時とか。あんまりにも遅い日には午前様になる日も珍しくなかったですね。
--仕事が多すぎるんでしょうか?
Nさん:早朝出勤しないととても終わらない仕事量でしたね。園長の「どんなことにもあたたかみを感じる園に」ってモットーに則って、行事のプログラムから遠足のしおりから、園のたよりも全部手書きで作れって言われてました。この時代にですよ?しかも配布枚数分手書きなんで、とても残業なしで終わりません。園長がやれよって何度も思いました。
--仕事量の多さと保育士の給与のバランスが悪いとは聞きますけど、それはかなり極端な例ですね。
Nさん:配布物以外の背面装飾とか行事の衣装とかセットとか、日々使う保育の制作物も手作りです。
--休日は取れていたんでしょうか…。
Nさん:もちろん、休みの日は仕事を持ち帰っていました。保育士なんでピアノの練習もありました。これだけ奴隷みたいにこき使われて、手取り13万ですよ?コンビニバイトの方がよっぽど稼げますよ。
「私には保育士は向いてない」
--日本中の保育園全部がそうなんですかね?
Nさん:いえ、もちろん私の同級生にも、もっといい園で働いている人はたくさんいます。もちろん仕事は大変そうだけど、楽しそうに仕事しています。
--どうしてNさんの状況と差があるんでしょうか?
Nさん;保育園を選ぶセンスが無いんだと思います。でも保育園選びって難しくて、事前に見学とか行くんですけど、本当の内情は実際に働いてみないとわからないし、園長とかもいい話しかしないし。だから私が悪かったと思ってます。「私にセンスがなかった」って。
--そんなことはないと思いますけど…。
Nさん:いや、きっと神様が私に「お前に保育士は向いていない」って言ってるんだと思います。
保育士を辞める決心をつけた
Nさん:友達に「前から保育士の給料は安いってわかってたじゃん」って言われた時に、なにかが切れた気がしました。「ああ保育士って仕事はそんなふうに思われるような仕事なんだ」って。私があんなに夢をもって就いた仕事は、そこまでひどいことを言われるような仕事なんだって。だから思い切って退職しました。
--スムーズに退職することはできたんでしょうか?
Nさん:いえ、働いていた保育園は、配置にまったく余裕がない状態だったので、一人でも辞めたらまったく業務が回らなくなります。だから無意識に勝手な責任感を感じて辞められなかったのもあるんですけどね。使命感とかだと思ってましたけど、今思えば牢獄に閉じ込められてるのが近かったですね。
園長は必死で止めてきましたけど、私は「辞める」の一点張りでした。1ミリも迷いがなかったですから、話し合いにはなりませんでした。
--Nさんは3年間保育士として働いてこられてきたわけですけど、もうこれ以上は無理だったという判断ですか?
Nさん:3年もよく持ったと思います。他人から見たら「たった3年」かもしれないですけど、この3年間本当に辛かった。子どもたちのことは可愛くて大好きですけど、それ以上に生活がきつすぎました。子どもたちとお別れすることだけですね。今一番つらいのは。
--保育士を目指す方になにか一言頂けますか?
Nさん:夢であふれる学生さんも多いでしょうが、あなた達のその綺麗な期待や胸の高鳴りは、大部分が裏切られます。私にも理想の保育をする夢がありましたが、見事に裏切られました。保育士になるなとは言えませんが、覚悟はしとくべきだと思います。
--Nさん、ありがとうございました。
Nさんのインタビューを終えて
夢を持って入った保育園は、とても仕事が辛く、保育士を辞めるところまで追い込まれてしまった…。
と、これだけ聞くとよくある話ではありますが、詳しく聞くとその仕事のハードさには驚かれました。
Nさんは、「二度と保育士にはならない」と言っていましたが、Nさんのような人は日本に何人いるのか。
勝手ですが、心配になってしまいました。
この記事を書いたライター
占い師からライターという異色の経歴を持つ男。
占い師時代の経験と勘であらゆる問題に切り込む。
苦手なものは移動時間。