人生・仕事の転機シリーズ第二回は、元欅坂46で現在はデザイン、アートなど多岐にわたるアーティストとして活躍中の佐藤詩織さんの『人生の転機』についてお伺いしました。
アイドルを卒業後、アートにダンスと多方面で実力を発揮する佐藤さん。
これまでも『アイドルと美大生の二足の草鞋』で活躍されてきた佐藤さんには、どのような転機があったのでしょうか。
デザイナー/クリエーター/アーティスト/ダンサー
武蔵野美術大学 造形学部 視覚伝達デザイン学科卒業
アイドルグループ欅坂46を卒業後、現在は自身のグラフィックや絵画作品制作に留まらず、衣装制作、映像作品制作などにも挑戦。
また、ダンスの面でも、11年間のクラシックバレエとアイドル時代の5年間のダンス経験を基に、さまざまな表現にチャレンジしている。
きっかけは「姉に勝つ」ことだった
物心ついたときから、自分の中に将来の夢が明確にないと焦るような性格だったかもしれない。
二歳離れた姉について、近所のクラシックバレエスクールに体験レッスンに行った。
幼少期に叶わなかったバレエをするという夢を子供が生まれたら娘にさせてみたかったのだと、母は言う。
当時四歳だったわたしは、よく分からないままレオタードとタイツを身に纏い、バレエシューズを履いた。
背後から聞こえてくる聴き慣れないクラシックの音楽にのせて、初めての動きを見よう見まねでやってみた。
「なんのこっちゃわからない」
いつも、何をするにも姉の真似をしていた。
おもちゃも、お習字も、お菓子も、髪型も。
きっとバレエも、姉の真似をして、姉に勝つという一心で始めることを決めたのだろう。
そんな小さなきっかけが、わたしの一つの大きな夢になった。
バレリーナとして舞台に立つ感覚の虜に
それから約十一年間、プロのバレリーナを目指しバレエ中心の生活を送った。
一週間のうち土日を含め五日のレッスンに、全国コンクールにも挑戦した。
年を重ねるにつれ、できる表現が増えたり魅せ方が分かってくる。
可愛い衣装に、綺麗なメイクを施し、溢れんばかりの拍手と照明を浴びて、今までの辛い練習の成果を披露する。
何とも麻薬的なその感覚の虜になった。
そんな夢のような日々に終止符を打つ日は突然やってきた。
足首の怪我により、辞めることを余儀なくされたのだ。
夢が突然なくなった。
毎日泣いた。
物心ついてからずっと一緒に過ごしてきた存在が自分から離れ、虚無感と将来への焦りで心にぽっかりと穴が開いた。
そんな日々が続いていたある日、ふと見たテレビドラマ「サプリ」。
広告代理店でCMプランナーとして働く主人公の女性が、入館証をピッとかざして大きなオフィスに入っていくのが格好良かった。
「わたしもこんな風になりたい」
この日から私の未来は大きく変わることになり、「広告代理店のアートディレクター」を志すようになった。
美術との出会いと美大受験の決心
それから、中学生の時に美術の先生に誘ってもらったことをきっかけに美術部に入り油絵を描いた。
みるみる美術の楽しさにのめり込んでいったわたしは次第に美術大学への進学を志すようになり、美術系の高校へ進むことを決意した。
高校生になってからはデッサンや色彩構成など美術高校ならではの授業を受け、放課後と休日は美術予備校に通い美大進学のための絵のスキルを磨いた。
美大受験での不思議なできごと
美大受験では不思議なことが続いた。
予備校の模試などで学科・実技ともに成績がよかった第一志望は試験当日だけ出来ず、今まで良くなかった第二志望の試験は当日だけ学科・実技ともに上手くいった。
そして何故か学科試験を受けに行った日、今まで興味がなかったはずの第二志望の大学の雰囲気の虜になり、この大学に行きたいと強く思ったのである。
晴れて2015年の4月に第二志望の武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科に合格した。
大学との出会いがなかったら、欅坂46にはならなかった
そして進学した後、オープンキャンパス委員で知り合った先輩に欅坂46のオーディションの存在を教えてもらったことがきっかけでオーディションを受けることになった。
一度は受験することも辞めようかと考えていた第二志望だったが、この吸い寄せられるような運命的な出会いは、欅坂46までのレールが敷かれていたのではないかと、何度も懐疑的になるくらいだ。
もし、あの日第二志望の受験を辞めていたら…
もし、あの日今まで通り第一志望の試験が上手くいってその大学に行っていたら…
わたしは間違いなく欅坂46に出会うことなく、別の人生を送っていたのだ。
バレエを辞めて美術の道に進もうと決めたのも、大学の選択も、オープンキャンパス委員にチャレンジしたのも、欅坂46のオーディションにチャレンジしたのも、少しの興味と何かありそうという直感だけで挑戦してみたことだったりする。
やってみてダメだったら方向を変えればいい
どうなるかはやってみなければ分からないし、やってみてダメだったら方向を変えればいい。
もしかしたらやってみて変わる未来もあるかもしれない。
そんな風に日々思いながら、飛び込んでみる勇気を大切に挑戦している。
2019年3月に無事、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科を卒業。
そして2020年10月に欅坂46を卒業し、五年間続けたアイドル生活に終止符を打った。
四年間の二足の草鞋生活はあっという間だった。
ただただ、がむしゃらに走り続けた。
”美大生アイドル”として『表現の表裏』を学んだ私は最強である
アイドルを辞める選択をしたのは、グループ名の改名のタイミングで将来の自分についてもう一度ちゃんと考えたときに、アートの道やイギリスへの美術留学という長年の夢を再び叶えるためでもある。
そして何より、後悔なくやり切ったと思えて辞める選択ができたのは、五年間のアイドル人生が一生分の煌めきに溢れていたからだろう。
少しの楽しそうという興味で選択した道は、驚くほどの夢や希望や愛に溢れていた。
大学で表現の裏側を学び、アイドルとして表現の表側を学んだわたしは今、最強になれた気がする。
悩むよりも迷うよりも、躊躇なく一歩を踏み出していく勇気が必要だと改めて思った。
一度しかない人生。
少しの直感で選んでみた先に、自分の未来を大きく変える何かが待っているかもしれない。
わたしは、これからの未来も未知である。
一週間後の自分も、一年後の自分も全く想像がつかない。
もしかしたら、直感を信じてチャレンジしていった先で面白いなにかに出会って、もう表には出ていないかもしれない。
留学先で異文化に触れ、海外に魅了され、絵を描きながら住みついているかもしれない。
はたまた、OLになってパソコンをカタカタ鳴らしているかもしれない。
いつまでも、何があっても、楽しそうと思うことへの直感を大事に一歩踏みだす勇気を持って、未来を切り拓いていこうと思う。
デザイナー/クリエーター/アーティスト/ダンサー
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編集/飯田ユイ